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水素イオン注入がSiCパワー半導体の課題を解決-信頼性の高い半導体の実現により社会全体の省エネルギー化に期待-

2022年09月05日

【発表のポイント】
・水素イオンの注入がSiCパワー半導体内部の積層欠陥の拡張を抑制できることを発見
・水素イオン注入をパワー半導体作製プロセスの前に実施することで、パワー半導体の電気特性を劣化させずに積層欠陥の拡張を抑制できる。
・積層欠陥の拡張はバイポーラ劣化という課題の原因であったが、水素イオン注入により信頼性の高いSiCパワー半導体が実現でき、社会の省エネルギー化に期待できる。

【概要】
名古屋工業大学大学院工学研究科の加藤正史准教授、名古屋大学未来材料・システム研究所の原田俊太准教授および住重アテックス株式会社(本社:愛媛県西条市、社長:秋山正博、住友重機械工業株式会社100%出資)の研究チームは、SiCパワー半導体(※1)を劣化させる結晶欠陥の拡張を水素イオンの注入により抑制することに成功しました。従来のSiCパワー半導体でダイオード電流を大きくすると、積層欠陥という結晶欠陥が拡張し、拡張した積層欠陥が電気抵抗を増大させてしまうという課題がありました。図1の概念図に示すように、SiCエピウェハに水素イオンに注入により積層欠陥の拡張が抑制され、長期信頼性が保たれたSiCパワー半導体を作製できることになります。この成果は低コストで高い信頼性を有するSiCパワー半導体の実現に貢献します。なお、本研究はNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の、産学連携に取り組む若手研究者を支援する「官民による若手研究者発掘支援事業(JPNP20004)(※2)」の一環で行われました。

本研究成果は2022年9月11日より開催される19th International Conference on Silicon Carbide and Related Materials 2022、および2022年9月20日より開催される2022年 第83回応用物理学会秋春季学術講演会にて発表されます。

図1 SiCエピウェハ断面構造の模式図。(a)水素イオン注入なしの場合、(b)水素イオン注入ありの場合
図1 SiCエピウェハ断面構造の模式図。(a)水素イオン注入なしの場合、(b)水素イオン注入ありの場合

【研究の背景】
シリコンカーバイド(SiC)パワー半導体はその省エネルギー性能のため、太陽光発電の電圧変換器もしくは電車、電気自動車などのモーター駆動用の半導体デバイスとして、普及し始めています。ただしSiCパワー半導体の価格は、従来用いられてきたシリコン(Si)パワー半導体に比較して高く、そのため実装できる分野が限られていました。SiCパワー半導体の価格が高い原因として、半導体素子を作るための基となるウェハが高価であることと、SiCパワーデバイスの長期信頼性を確保するのが困難であることが挙げられます。このうち前者はSiCウェハの口径拡大などにより改善が見られていますが、後者についてはSiCウェハに存在する結晶欠陥に起因するため根本的な解決が難しいのが現状です。SiCの結晶欠陥の中でも長期信頼性に悪影響を与えるものとして、積層欠陥(※3)があります。SiCパワー半導体で作られたダイオードに電流を流すと、積層欠陥が拡張するという現象が起こり、拡張した積層欠陥が電気抵抗を増大させてしまいます。この積層欠陥の拡張と、それに伴う電気抵抗の増大はバイポーラ劣化と呼ばれ、SiCパワー半導体の長期信頼性の課題となっていました。

【研究の内容・成果】
積層欠陥は基底面転位という転位(※4)が、2つの部分転位に分かれて運動し、その2つの距離が広がることによって拡張します。ここでSiCパワー半導体は図1(a)のようにエピタキシャル層(エピ層)とその下の基板の2層構造を有するエピウェハを基に作られますが、基底面転位のほとんどは基板のみに存在します。そして、積層欠陥としての拡張は基板からエピ層方向に進み、エピ層の電気抵抗を上昇させます。したがって基板の基底面転位が、部分転位に分かれてエピ層内部に入ってくる運動を止めれば、バイポーラ劣化を抑制することが可能となります。そこで我々は、図1(b)のように加速エネルギーMeV級のイオン加速器を用いた水素イオン注入により、エピ/基板界面付近に水素および点欠陥を導入しました。これにより部分転位に水素もしくは点欠陥を固着させ、その運動を止めることができると考え、それに伴う積層欠陥の拡張抑制を狙いました。
このとき水素イオン注入をSiCパワー半導体の作製プロセスの間もしくはプロセスの後に実施すると、部分転位の固着は起こりますが、水素イオン注入による結晶ダメージによりSiCパワー半導体の電気特性が悪くなってしまいます。一方で、SiCパワー半導体の作製プロセスにはアルミニウム(Al)イオン注入の後に実施される、結晶ダメージ回復のための高温アニールのプロセスが存在します。この高温アニールのプロセスよりも前に水素イオン注入を実施すれば、水素イオン注入の結晶ダメージも回復し、水素イオン注入のないものと同じ電気特性が得られることがわかりました。その上、高温アニール後でも水素イオン注入による部分転位固着効果は保たれていました。図2に従来のダイオード作製プロセスと開発した水素イオン注入ありのプロセスの比較を示します。

図2 SiCダイオード作製プロセス(a)水素イオン注入のない通常のプロセス、(b)本研究で開発した水素イオン注入ありのプロセス
図2 SiCダイオード作製プロセス(a)水素イオン注入のない通常のプロセス、(b)本研究で開発した水素イオン注入ありのプロセス

図3は、従来のプロセスで作成されたダイオードと今回開発したプロセスにより作製されたダイオードに対して、長時間の電流負荷試験を施したあとのエレクトロルミネッセンス(EL)像(※5)です。ELはエピ面に形成した、ストライプ状の窓のある電極を通して観測しています。ここで積層欠陥はEL像において暗部となるため、積層欠陥の拡張の有無が判定できます。図3(a)に示すように水素イオン注入のないダイオードの場合、複数の箇所で暗部が確認され、積層欠陥が拡張したことがわかります。一方で、図3(b)に示すように水素イオン注入ありの場合、積層欠陥は観測されませんでした。したがって、水素イオン注入が積層欠陥の拡張を抑制しており、バイポーラ劣化を解決する技術となりうることがわかりました。

図3 長時間の通電劣化試験の後のダイオードの電極窓から観察されたEL像、(a)水素イオン注入のないダイオード、(b)水素イオン注入のあるダイオード
図3 長時間の通電劣化試験の後のダイオードの電極窓から観察されたEL像、(a)水素イオン注入のないダイオード、(b)水素イオン注入のあるダイオード

【社会的な意義】
この成果は、SiCパワー半導体の長期信頼性における課題であるバイポーラ劣化の解決につながります。それゆえ、SiCパワー半導体の低コスト化および、長期信頼性が要求される自動車分野などへの展開が期待できます。省エネルギー性能の高いSiCパワー半導体の普及は、社会全体の省エネルギー化につながります。

【今後の展開】
今後はSiCパワー半導体の性能と長期信頼性を両立できる、水素イオン注入の最適条件を見出す研究開発を継続します。将来的にはこの技術の実用化し、SiCパワー半導体製造業者に提供することを目指します。

【用語解説】
(※1)パワー半導体
電力の制御や変換を行う半導体の総称で、特に高電圧・大電流を扱うことのできる半導体です。近年では電力の無駄を極力少なくし、省エネ・省電力化に貢献するパワー半導体の需要がより高まっています。

(※2)官民による若手研究者発掘支援事業(JPNP20004)
事業名:共同研究フェーズ(環境・エネルギー分野)
SiC結晶中転位への不純物固着による高信頼デバイス製造技術の確立
代表者:加藤正史
事業期間:2020年度~2022年度
事業概要:https://wakasapo.nedo.go.jp/about/
(※3)積層欠陥
結晶欠陥の一種で、結晶格子内で面上原子変位を伴う欠陥のことです。その端部には部分転位という転位が存在します。

(※4)転位
結晶欠陥の一種で、結晶格子内で線状の原子変位を伴う格子欠陥のことです。なかでも基底面転位は2つの部分転位から構成されていて、その2つの部分転位に囲まれた領域が積層欠陥になります。

(※5)エレクトロルミネッセンス
ダイオードに電流を流したときにはダイオードが発光する現象が起こります。この発光をエレクトロルミネッセンスと呼びます。

【関連発表情報】
論文名:Suppression of Stacking Fault Expansion in a 4H-SiC Epitaxial Layer by Proton Irradiation
著者名:S. Harada, T. Mii, H. Sakane, M. Kato,
雑誌名:Scientific Reports (2022) 12:13542
URL:https://doi.org/10.1038/s41598-022-17060-y

演題:“Suppression of recombination enhanced dislocation glide motion in 4H-SiC by hydrogen ion implantation”
著者名:Shunta Harada, Toshiki Mii, Hitoshi Sakane, Masashi Kato
学会名:19th International Conference on Silicon Carbide and Related Materials 2022
公表日:2022年9月15日
URL:https://icscrm2022.org/

演題:“Suppression of stacking fault expansion in SiC PiN diodes by H+ implantation”
著者名:M. Kato, O. Watanabe, T. Mii, H. Sakane, S. Harada
学会名:19th International Conference on Silicon Carbide and Related Materials 2022
公表日:2022年9月15日
URL:https://icscrm2022.org/

演題: プロトン注入によるSiCエピタキシャル層の基底面部分転位の運動抑制
著者名:原田俊太、三井俊樹、坂根仁、加藤正史
学会名:2022年 第83回応用物理学会秋春季学術講演会
公表日:2022年9月20日
URL:https://meeting.jsap.or.jp/

演題: H+注入によるSiC PiNダイオード内積層欠陥拡張の抑制
著者名:渡邉王雅、三井俊樹、原田俊太、坂根仁、加藤正史
学会名:2022年 第83回応用物理学会秋春季学術講演会
公表日:2022年9月20日
URL:https://meeting.jsap.or.jp/