がん治療システム「BNCT」
住友重機械工業は医療用サイクロトロンとそのビーム制御システムを開発したノウハウを生かし、小型のBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)用加速器を開発。10年以上の歳月をかけ、BNCT治療システムNeuCure®(ニューキュア)およびBNCT線量計算プログラムNeuCure®ドーズエンジンは新医療機器としての承認を取得した。前例のないプロジェクトだけに、承認を得るまでにはさまざまなハードルが待ち受けていた。
医療・先端機器統括部
医療戦略グループ 主席技師
物理応用グループ 技師
医療・先端機器統括部
医療戦略グループ 主任技師
プロジェクトの実現
に欠かせない
共同開発パートナー
の選定と契約
2020年3月に医療機器承認を受け、同年6月から保険診療がスタートしたBNCT。薬剤と放射線治療を組み合わせる画期的な治療法により、がん細胞を選択的に破壊。装置の小型化、患者の負担軽減など、がん治療の分野において画期的な革新をもたらしている。
「BNCTにはもともと、研究用の治療計画プログラムがありました。法改正により治療計画プログラムは医療機器として規定されたため、装置メーカである当社としては初めてのプログラム医療機器を開発することになったのです。」
こう語るのは産業機器事業部(産機)の谷崎直昭。このプロジェクトは日本原子力研究開発機構、京都大学、ステラファーマなどの共同開発パートナーとともに進められた。谷崎は産機側のまとめ役として、国内外での調整を担っている。
「われわれは機械メーカなので、病院で使われるようなプログラムのインターフェースをつくるセンスが残念ながらありません(苦笑)。医療プログラムは操作性や機能性が重要なので、外部の企業を選定し契約したわけです」
とはいえ、開発費用や時間が限られており、外部の企業が出す条件を丸飲みするわけにはいかない。社内で承認を得る際も、人知れず苦労があったようだ。
「契約の最終段階でも、当時の取締役から『契約金額に見合うようさらに内容を見直すように』と言われまして。1回の治験で数億円かかるようなプロジェクトですから、経営層の言い分も理解できます。そこで、開発時や販売後の協力項目などについて先方と折り合いを付け、契約に至ることができました」
BNCTの治験は2007年から始まった。そして、医療機器として販売するには、設計や仕様、治験などのデータを当局(厚生労働省、とその下部組織である独立行政法人医薬品医療機器総合機構、以下PMDA)に提出し、承認を得なければならない。
「普通の機械装置は社内の試験に合格すれば、すぐに販売することができます。しかし、医療機器は申請してから承認されるまで通常1年近くかかります。特例(※)を受けても半年はかかる。その間、当局への説明が連日のように続きます」
※厚生労働省(厚労省)の先駆け審査指定制度
医療機器承認を得て販売をスタートすることができた。しかしまだBNCTの計算速度の向上、機械の小型化、低価格化など課題は山積している。
「医療機器としての安全性、安定性、信頼性を第一に考えて開発しました。これから国内外の競合が出てきますが、その考えは今後も変わりません。競合が開発や治験を行っている間、われわれはお客様と使用ノウハウを蓄積していきます。新しい機能を追加し、いち早くより良い装置を提供したいという思いも強いです」
BNCTは、切除不能の局所進行または局所再発頭頸部(とうけいぶ)がんに限られているが、今後はほかのがんに対しての治療も期待されている。
「もちろん適用部位を増やす際には、その都度、当局への申請が必要となり、パートナーとの緊密な連携が求められます。そのためにはやはり、膨大な時間と費用がかかります。私たちだけでなく、病院やパートナーたちも投資を回収できると信じなければ前に進むことができません。BNCTによる治療がポピュラーな存在となるよう、臨床の成績を積み重ねていきたいですね」
医療の現場と患者の
負担を減らすための開発
BNCTを実施するためには、事前に患部および周辺組織の精密な線量計算が必要だ。そして、BNCTの線量計算には国産の「モンテカルロコード」が用いられる。開発メンバーの一員として、大きなノートパソコンを抱えながら奔走した技術本部・技術研究所(技研)の武川哲也だ。
「学生時代にBNCTの研究をしており、モンテカルロコードも使っていました。私は2014年に入社したのですが、そのときすでに治験は進んでいました。ソフトウエアの開発を技研で始めるタイミングでの入社となったわけです」
パートナーとなる海外メーカを選定するため、市販ソフトウエアをしらみつぶしに調査。その作業だけで半年を要した。さらに、BNCTで使える候補ソフトウエアに、BNCT機能をプラスできる仕様を検討する作業に1年かかったという。
「メインの業務となったのは当社の照射システムをモンテカルロコードで再現するためのシステムづくりや、インターフェース上でどう再現するかの仕様作成、そして海外メーカとのやりとりです。海外のスタッフには口頭で説明してもうまく伝わらないことが多々あり、無理やりプロトタイプを実装して説明したこともありましたね(笑)」
治験は研究用のソフトウエアを使って行われた。新たに医療機器承認を得るプログラムは、治験用との同等性を示すことで申請が認められ、実際に使えるようになったのは治験後、承認を得てからだった。
「最初の治療で使われるときは病院まで足を運び、ドキドキしながら治療を見守りました。販売が開始され2年が経過しましたが、課題もいろいろと見えてきました。計算速度の向上はもちろん、ユーザーが使いやすいように表示のバリエーションを増やす必要もありそうです。医療技術では、新しい評価方法が次々と出てきますし、いかに対応するかも今後の課題ですね」
BNCTの治療計画に時間がかるのは、数千万から億単位の中性子や電磁波などを仮想的に飛ばし、ホウ素や体内の元素との反応による線量分布を事細かに計算するため。精密な計算であるからこそ、どうしても時間がかかってしまうのだ。
「まだコンピューターの速度が足りないですし、ソフトウエアはもっと最適化できると思います。ほかにも現場からの要望がありますので、取捨選択しながら開発を続けていきます。全ての要望に応えると訳の分からないソフトウエアになってしまうので、そこは見極めが必要ですね」
コンピュータ・ソフトウェアの進化により、ようやくBNCTを臨床現場で用いることができるようになった。それでも加速器によるBNCTは臨床が始まったばかり。装置やプログラムは今後さらに改善や改良が必要になると考えている。競合に追いつかれることなく、圧倒的な性能差を出すことが目下の目標となっている。
「いまは計算時間を短縮することを目指しています。また、ソフトウエアだけでなく、アプリケーションも含め、いろいろな開発を進めていきたいですね。
BNCTの知名度はまだ低いので、みんなが知っているレベルの治療にするのも目標です。今後はお医者さんともディスカッションを重ね、必要に応じて新しいデバイスを開発するのが私たち機械メーカの役割だと考えています」
申請承認に向け
当局へ説明の日々
「実は、BNCTには開発当初から携わっていました。当時は設計を担当しており、臨床試験を進めるチームに入った後、申請対応に特化したチームの一員となりました。設計を担当した経験は申請や当局に説明をする際、大いに役立ちました」
こう話すのは産機の菊地雄司。BNCTのように放射線と薬剤を組み合わせた機械は誰も経験したことのない画期的なシステム。それだけに、薬剤メーカとの緊密な連携が必要不可欠だった。
「数十年前、薬と機械で効果を出すものを当社でつくったことがあるのですが、放射線と薬剤という組み合わせは初めてですし、当時を知る人がほとんどいなくなっています。会社的にも、個人的にも新規の案件だったと言っていいでしょう。私たちは機械の専門家ではありますが、薬については勉強を始めたばかり。薬事規制や当局への対応など、薬剤メーカから多くのノウハウを教わり、それを積み上げながら進んでいきました。何度も申請書類の書き方を協議し、一部はコンサルにも入ってもらいました」
BNCTの装置と薬剤は、2015年から始まった先駆け審査指定制度の対象となった。指定されると審査や相談が優先的な取り扱いとなり、通常1年かかる審査が半年ほどで終わる。世界初の治療システムであるBNCTは、当局にとって先駆け審査指定制度の目玉とも言える存在だった。
「承認の2ヵ月ぐらい前からですかね、私と武川さんに当局から毎日何度も電話がかかってきました。というのも、PMDAは厚労省の下部組織なんですね。だから、私たちが申請したものをPMDAの方々が厚労省に説明しなければならない。BNCTの安全性、有効性に対する当社の説明に当局の方々も真摯に対応してくださいましたし、理解していただくまで何度もやりとりをしました」
その他にも承認を得るためにはさまざまな基準があり、審査は当局のペースで進められた。菊地にとっては、やっとの思いで付いていく日々だった。
「医療機器として認められるためにはさまざまな基準があり、それは法律にも定められています。機械的、電気的、放射線、生物的な安全性などいろいろな項目があり、申請後は全て問題なしと言い切れるまで説明する必要があります。その説明のために、申請書類は最終的に、一式でダンボール箱2つ分 ほどになりました。承認の連絡をもらったときは、申請に必要なデータの測定が終わった深夜、雪の降りしきる中、短期賃貸マンションに一人歩いて帰ったことなど、忘れたい記憶が走馬灯のようによみがえりましたね(笑)。しかしながら、医療機器の開発から承認まですべてのプロセスに関わることができたのは、当局とのやりとりを含め、心の底から良い経験ができたと思っています」
申請対応は年末中心に行われ、菊地は束の間の正月休みを取ることになった。しかし――。
「休み明けには専門家委員会が開かれ、専門家が承認の可否について議論します。休んでいても、休み明けのことが気になって仕方がないし、落ち着かない。結果的にPMDAの方々による説明が問題なく終わり、次の段階に進むと連絡が来たときは、もととなる膨大な資料と担当の方との数え切れないほどのやりとりが報われた瞬間でしたね。いま振り返るとストレスを感じることはあまりなく、いい意味で夢中だったのだと思います」
BNCT装置は今後も新しい機能が加わり、より魅力的な商品になるだろう。実際、今年2月には一部改良を加えた承認を得て、病院側からも好評を得ているという。
「患者様の体位設定の柔軟性が増したことで、治療中の負担が軽くなりました。今後も積極的に改良を進めていきたいと思います。私の所属するチームは、ユーザー様の声を元に開発部隊が形にしたアイデアを少しでも早く申請し、スムーズに承認を得ることが求められています。普通の機械に比べて改良後使えるようになるまで手間も時間もかかるのですが、魅力的な商品に仕上げていきたいという想いは、設計を担当していた頃から変わらないですね」
BNCTの承認はゴールではなく、第2のスタートライン。BNCTによる治療がより身近な存在となり、より多くのがん患者を救うための挑戦はまだ始まったばかりだ。
■注意事項
本文書に記載されている医療機器に関する情報は、開発経緯の開示を目的とするものであり、宣伝または広告を目的とするものではありません。
※記載内容は、すべて取材当時のものです。