陽子線がん治療用世界最大出力の加速器を生んだ開発の舞台裏~「できるわけない」と言われても~
がんの放射線治療が大きく変わってきた。日常生活を損なわない通院治療に、がん組織だけを照射して患者の負担を減らす方法──それが陽子線がん治療だ。がんの三大治療法には外科手術、化学療法、放射線治療があり、がんの部位やステージ等により適切な治療法が選択される。放射線療法の一つである陽子線治療は、正常細胞への副作用を抑えつつ、がん細胞に集中して照射することが可能であり、治療の日常生活への影響も少なく患者に優しいがん治療と言える。長年培った加速器の技術を生かし、陽子線治療の課題に住友重機械工業が切り込む。世界最大出力の加速器ができるまでの道のりとは。
医療・先端機器統括部 主席技師
主任技師
低温量子技術部 技師
次世代加速器の開発に向け、
技術者たちが手を取り合った
「本当にビームが出た瞬間は、正直驚いた」。陽子線治療向けAVF(Azimuthally Varying Field)サイクロトロン(粒子加速器)「SC230」の基本設計を担当した筒井裕士(産業機器事業部・主席技師)はそう話す。ビーム引き出しまでは「綱渡り」だった。
陽子線治療は、正常細胞へのダメージを低く抑えることができるなどのメリットから、患者に優しいがん治療として需要が増える一方、治療システムが大型ゆえに導入が一部の病院に限られているという課題がある。もしサイズダウンできれば中小規模の病院にも設置でき、より多くのがん患者を救うことができる──。各メーカーは、システムの要であるサイクロトロンの小型化に着手した。
相次いで小型のサイクロトロンが発表されるなか、住友重機械工業は2007年頃から次世代サイクロトロンの実現可能性を調査していた。開発を本格的にスタートしたのは2015年。追撃が始まった。
下地はすでにあった。50年以上の歴史を持つ加速器事業に加え、培ってきた超電導技術や極低温冷凍機の製造技術。画期的な加速器を生み出すため、技術者たちが手を取り合った。「挑戦的な目標を達成させるため、それぞれ追求していた専門技術がこの開発で組み合わさった」とビーム試験担当者の江原悠太(技術研究所・技師)は振り返る。
「無理に決まってる」
逆風の中の設計
後発である以上、すでに世に出ているサイクロトロンの性能を上回ることを目指した。コンセプトは「小型・省エネ・大電流」。実現のため、<1>磁場が強くなれば軌道半径が小さくなる磁場の法則を生かし、高磁場を発生させる超電導マグネットを用いて小型化する。<2>消費電力の少ない超電導コイルの採用に加え、陽子を加速するために使う電極数を最少にし、電圧も下げて省エネ化する。<3>ビームを引き出す際にターンセパレーション(間隔)を広げて、引出効率を向上させて大電流化する、などの方法が取り入れられた。
基本設計は2013年にでき、2015年からは各構成部品の設計・製作が開始。2020年には愛媛製造所・西条工場(愛媛県)に試作品を移し、ビーム加速試験が始まった。厳しい制約条件に合わせた今までにない構造。まさに“綱渡り”で、筒井は「理論上は問題ないはずだが、ビームが本当に出るのか不安もあった」と当時について話す。入社して30年以上、多くの時間をサイクロトロンなどの加速器の設計に費やしてきた。「うまくいかなければ会社を辞めよう」。そう考えたこともあったという。
国際学会では疑問の声もあがった。電極が少なく電圧が低ければ消費電力を抑制できる一方、エネルギー利得の低下により粒子を回すターン数が従来より2倍以上増える。1,000ターン以下で設計するという慣例から「無理に決まってる」「できるわけない」と言われた。
「世界最大出力」のビーム電流を
誇るサイクロトロンが完成
それでも成功したのは、プロジェクトリーダー・宮下拓也(産業機器事業部・主任技師)によると「設計がしっかりしていたから」。ビーム加速試験中には加速器内のイオン源からビームがなかなか引き出されない事態もあったが「致命的なトラブルはなかった」という。2021年7月、サイクロトロン外部へのビーム引き出しを確認。性能評価試験ではビーム電流の安定度や消費電力など、各要求を満たす性能を得ることができた。
サイズは、周方向に変動する磁場を用いるAVF方式として世界最小(2024年8月現在)、重量は従来機の10分の3である65トン、消費電力は4割カットの200キロワットを実現した。一方で、最大ビーム電流は3倍強の1,000ナノアンペア。これは、陽子線治療装置向け加速器の中で最大を誇る(同)。また、超電導コイルの冷却に液体ヘリウムを使わず、社の技術を生かした極低温冷凍機を採用することで安全性と保守性を高めた。
画期的ともいえるこのサイクロトロンを組み込んだ陽子線治療システムの初の受注があったのは、2022年11月。発注した台湾の台中栄民総医院では、同システムを使った陽子線治療を2027年から開始する予定だという。宮下は力を込める。「世界最大出力=ビーム電流が大きければ治療時間が減り、患者さんの負担も減らせる。より多くのがん患者を救う一助になれば」。異端の設計で業界に切り込む。
※記載内容は、すべて取材当時のものです。